2008年09月28日

天璋院篤姫の駕籠(かご)

偶然、NHKのニュースで見たのだが、

天璋院篤姫が徳川13代将軍家定との婚礼で使用した豪華な駕籠が、

米ワシントンのスミソニアン博物館
http://www.si.edu/guides/japanese.htm

に所蔵されていたことが、わかったそうだ。

駕籠は本体が幅約96センチ、長さ約134センチ、

高さ約136センチ。狭いなあ〜。

江戸時代の女性は、やはり小柄だったのかな。

黒漆の上に金の蒔絵で二葉葵をあしらった唐草文様を描き、

さらに徳川家の三葉葵紋と近衛家の牡丹紋が配されているとの事。

篤姫の駕籠
(内装には、「源氏物語」の1シーンが‥)

なぜ、篤姫の駕籠(かご)と、特定できたのか?

幕府が篤姫の婚礼道具を書きとめた文書が残っていて、

その中に、同じ二葉葵唐草文様の図案があり、

調度品検品リストにこの駕籠を示すとみられる道具が記載されている

ことなどから、断定したそうだ。


しかも、この図案は、篤姫の義母の“本寿院”の駕籠にも使用され、

徳川時代、このデザインを使ったのは、本寿院と天璋院しか

使っていないらしい。

内装も、本寿院の駕籠と同じ、「源氏物語」のデザインが施されて

いたことも傍証としている。

では、なぜ、米国スミソニアン博物館から発見されたのか?

来歴は不明らしいが、

江戸開城の際、篤姫ら大奥の女性が置いたままにした大きな調度品を

明治新政府が売却したのではないかと考えられるそうだ。

無血開城の時、篤姫らは、幕閣の避難命令に抵抗したことは有名だ。

そして、江戸城を去るとき、その莫大な大奥の資産(宝)を

そのまま残していったらしい。

一方、明治新政府の財政事情は最悪で、かさむ戦費の捻出も結構大変

であった(司馬遼太郎さんの小説などにも書いてある)。

当時のヨーロッパは、ちょっとした“日本ブーム”であったらしく、

需要があったのだろう。

現代でも同じだが、戦争(それが内紛でも)で文化は荒れる。

特に、江戸時代の日本文化を伝えるもの(浮世絵等も)が、多く

外国に流出している。

日本に限った話ではないが、「平和」というものの大切さも感じる

ニュースであった。


posted by 成長企業プロデューサー 小松弘明 at 11:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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