2006年05月29日

ダイヤモンドビジョナリーへの想いA

2000年4月に、16年務めた都市銀行から、転職した。38歳だった。

銀行時代の後半、私はトラディショナルな銀行員ではなく、「社債の発行推奨」や「IPO支援(VCに近い)」等、銀行の中でも「直接金融」に関わる仕事を、「企業部」という部署で行っていた。

支店の営業担当者を支援し、今風に言えば、お客様に最適のソリューションを提供することをミッションとしていた。

支店の担当者と同行訪問し、先方会社のニーズにあった調達方法や、雇客の紹介をしていた。

99年の秋も深まったある日、八丁掘支店のI君から、電話が入った。

「支店のそばで、中国人がソフト会社をやっていて、上場するといってます。無借金で、銀行取引は中々深くなりません。」

ソフトブレーンも99年時点では、全くのベンチャー。
ソフト開発会社で、中国人が経営していて、上場指向の会社に私は初めて出会った。

I君と一緒に宋さんと面談した。
銀行で直接投資しようと目論んでいたが、上場前の最終ファイナンスは事実上終了していた。つまりほとんど役に立てないという事だった。

仕方がないのと意地で、銀行社内向けにソフトのデモの機会を提供した。
(結果は数年後の受注につながるが、その時点では空振り。)

これに宋さんは何かを感じてくれていたらしい。
2000年3月に「ソフトブレーンに来ないか?」と誘ってくれた。

40歳になる前にチャレンジしたい衝動にかられ、一晩で結論を出していた。

一週間ぐらい後に辞表を部長に提出した。
部長は、目を丸くして、40近い男の転職を随分心配してくれたが、
「お前の人生だから」と反対はされなかった。

辞表提出した日の午後、銀行の「統合」が新聞発表された。ちょっと惜しい気持ちもあった。
銀行の仕事が嫌になっていた訳ではなかったからだ。
当時、むしろメガバンクになれば、仕事は更にダイナミックになる可能性も高かった。

以下 次回へ

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posted by 成長企業プロデューサー 小松弘明 at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス ヒストリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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