2006年12月14日

玄徳と孔明@

蜀 主 窺 呉 幸 三 峡  蜀主 呉をうかがいて三峡に幸す

崩 年 亦 在 永 安 宮  崩年もまた永安宮に在り

翠 華 想 像 空 山 裏  翠華 想像す 空山の裏 

玉 殿 虚 無 野 寺 中  玉殿 虚無なり 野寺の中

古 廟 杉 松 巣 水 鶴  古廟の杉松に水鶴巣くい

歳 時 伏 臘 走 村 翁  歳時伏臘に村翁走る

武 侯 祠 屋 常 隣 近  武侯の祠屋 常に隣近

一 体 君 臣 祭 祀 同  一体も君臣 祭祀同じ

 


杜甫が、劉備を詠った漢詩である。

意味は、

蜀の劉備は、呉を討とうとし、三峡の地に行幸したが、
崩御の年もまた、ここ“永安宮”であった。
人けのない山中に錦の御旗(漢の王室)が立ち並ぶ様子を想像しても、
かつての立派な御殿はあとかたもなく、ひなびた寺の中にそのおもかげがあるばかり。
古廟の杉や松は年輪を重ね、こう鶴が巣くっており、
一年・四季・伏日・臘日の祭りには、村の翁たちがせわしなく働いている。
武侯の祠(ほこら)は、永遠にそば近くにおかれており、
ひとつの肉体をもったような親密な間柄であった君臣は、死んでも尚、同じようにまつられている。

三顧の礼.jpg

杜甫が、三国志を題材とした漢詩を残していることを知らなかった。

「幸す」「崩年」という言葉は、そもそも天子に使う表現で、杜甫が劉備を正当な漢室の末裔で、きちんとした王朝とリスペクトしていた事がわかる。

最後の一行は、諸葛孔明(武侯)が劉備とともに廟に祭られていることをいう。

水魚の交わりといわれた“玄徳と孔明”の二人の間柄を物語る。

おもしろい。

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posted by 成長企業プロデューサー 小松弘明 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「知道中国」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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